廃校になった学校を利用した温泉宿...「畑山温泉」
(高知県安芸市)
![]()
澄んだ >target="_blank"> >伏流水>が、明るい水田に絶え間なく流れ込んでいる。香りのよい 柚子畑が一面に広がり、道端にはショウブの花が咲き乱れている。畦道にはおじいさんを乗せたトラクターが一台。そのシルエットが初夏の日差しの中にゆっくりと消えていった。
今回足を運んだ 畑山温泉 は、 高知県 東部にあり、 安芸 の市街地から20kmほど上流に湧いていた。安芸市畑山地区といえば、四国の秘境ともいわれる山はだに隠れたエリア。そこへはバスが一日たった3本のみ、結んでいるだけだった。
小雨煙る JR岡山駅 から 高知 へ抜ける 特急「南風」 に乗り、後免駅で 土佐くろしお鉄道 に乗り換えた。 ごめん・なはり線の「太陽号」 というオープンデッキの列車が入線してきてすぐに発車した。2両編成の列車はカーブを舞い、緩やかな海岸線をなぞっていく。デッキに出ると、涼しい潮風が全身に吹き付けてきて爽快だった。雲の切れ間から光が差し込みはじめ、次第に空と水平線の境がまぶしくなってきた。白砂の砂浜が海岸線に沿って延び、それを辿るようにアカマツの並木が続いていた。遥か先には、 室戸岬 が薄藍色に霞んでいた。
![]()
終点の 安芸駅 で列車を降りた。
バスが来るまで、駅構内の「じばさん市場」を見て廻ると、おばあさん達が「これは安いき。」「これもいい品だき。」なとど言い合いながら買い物を楽しんでいた。市場には、高知の銘菓や地揚げの海産物のほか、キュウリ、トマト、ピーマンなど地元産の 野菜 が数多く売られていた。どれも新鮮で値段も安く、促成栽培が盛んな南国の風土を垣間見れた。
そうこうしているうちに定刻の15時となり、ロータリーに畑山行きの小さなバスが入ってきた。
日焼けをした運転手さんがドアを開け、「ご苦労様です。畑山までは一時間ほどかかるけんど、ええ温泉ですよ。」と白い歯をこぼした。
バスは、瓦積みの垣根や塀を構える古い町並みを窓外に映し、黒光りする 野良時計 を通り過ぎてゆく。乗客は私のほかに、腰の曲がったおばあさん、帽子を被ったおばさんの三人だけだった。後席に座る二人は私を見て「畑山温泉に来る若者は珍しいわあ、かわいいなあ。」と顔を見合わせて喜んでいた。
ミカンの段々畑を過ぎ、杉木立を緩やかになぞっていくと、民家は途絶え、窓外は次第に秘境の様相を呈し始めた。
両側には深い緑が迫り、気がつくと車1台がやっと通れるほどの道幅になっていた。
「若者はみな都会に出てしもうたき、畑山で見かけるのはおばあか動物かどっちかじゃ。」と、おばあさんが目尻に豊かな皴を刻ませ話しはじめた。
畑山温泉のある 安芸市畑山地区 は昭和29年までは畑山村といって、2000人以上が暮らしていた。しかし合併など時代の波を受けて次第に過疎化が進み、現在では人口300人ほどになってしまった。児童の数も減少の一途を辿り、明治時代創立の小中学校も近年ついに廃校に追い込まれてしまったのだという。そして、私が今向かっている畑山温泉こそ、その 廃校跡 であると教えてくれた。何だか言い伝えのようで信じられないような気さえする。
窓外にふと目を移すと、県道に沿って流れる畑山川には奇岩怪石がつぎつぎと現れはじめていた。水は白く速く流れ、深い淵はエメラルドグリーンに澄みきっている。林の中にカモシカらしき動物の影がササと動き、山桜が可憐な花びらをひらひらと舞い散らせていた。
山間部に入ってから40分程して深い山林が途切れ、視界が急に明るくなった。
初夏の青空が広がり、薄緑色をした山々の向こうの向こうまでのびきっている。畑山の小さな集落を抜けると、終点の畑山だった。
そこで私はバスを降りた。クラクションを鳴らして遠ざかっていくバスを見送った後、宿の標識をたよりに緩やかな坂道を登ると、木造の建て物がヌッと現れた。軒先の木の札を見上げると「 「畑山温泉憩いの家」 と書かれてあった。
宿の入り口付近には石版が建っていて、「安芸市立畑山小中学校跡」という文字が刻まれていた。
おばさんの話通り、畑山温泉は旧畑山小中学校だったのだ。目を凝らして学校の歴史が刻まれた部分に目を通す。そこには、明治11年に学校が創立されてから、平成8年4月1日に廃校するまでの経緯が数十段に及んで記されていた。空の彼方に鳥の声がこだました。長い歴史に幕を降ろした学校の歴史がここに眠っているのだ。
格子戸をがらがらと開けると、やわらかな光が玄関の板に落ちていた。
「いらっしゃいませ、お待ちしておりました」。奥から女将さんの丸い笑顔が現れ、木の温かみを感じさせる和室へと案内された。「こんな古びた宿ですが、どうぞゆっくりしていってください。」お風呂の説明など受けた後、お女将さんが行ってしまうと、野鳥と瀬音だけになった。
館内を少し歩いてみた。客室はかつての 教室 だったに違いない。
一見すると一般旅館の部屋と変わりなく見えるが、丸太を組んだ廊下の壁や黒光りする床などにその痕跡を残していた。バスで会ったおばさんやおばあさんもこの場所で机を並べたのだろうか。「皆、畑山の小中学校に通っとったき、小さいころから幼馴染みじゃ。」豊かな自然に囲まれて、どんな青春時代を送ったのだろうか。他の人々はみな元気なのだろうか。何だか少し感傷的な気持ちになりつつ、想像を巡らせていると、いつしか日は西の山の端に吸い込まれ、 カジカ が一斉にコロコロ鳴きはじめた。窓を開けて、その美しい音色にしばらく聞き惚れていた。
食堂 に行くと、「都会のかたのお口に合うか分かりませんが。」と女将さんが丁寧に膳を運んできた。畑山温泉の料理は地元の食材をふんだんに使った 田舎料理 だった。そのメインは、土佐ジローの唐揚げと手羽先だ。宿の経営者である小松靖一さんが育てたという 土佐ジロー は、 国の天然記念物土佐地鶏 の一代交配種で、 高知県の特産物 として知られている逸品。皮が狐色になるまで丹念に炙りあげた鶏肉は一見硬そうに見えたが、かむと意外と柔らかく旨みがあって、塩との相性もよくて美味だった。その周囲を彩っている味覚も都会ではなかなか味わえないものばかりだった。 刺身こんにゃく 、 ワラビ の煮付け、 タケノコ の煮物、 ママカリ の酢漬、 ソバのテンプラ、 柚子皮 の煮付け、など、畑山の豊かな土地をそのまま表現しているような一品一品は格別な味がした。
座敷でしばらく休んだ後、 温泉 に入った。素朴なタイル張りの浴槽の中にざぶんと浸かる。透明でさらさらした湯が贅沢に溢れ出る。 カジカと伏流水のハーモニー を耳にしながら目をつぶり、身も心も温かくなるまで浸かった。あまりにも心地よくなってきて、なんだか畑山小中学校のチャイムの音までもが彼方から聞こえてくるような気がした。
翌朝、鳥の声で夜が明けた。目覚ましがてら朝の散歩に出かけた。
畦道を歩いていると、道の脇でおじいさんが丹念に花の手入れをしていた。カンナ、アジサイ、ショウブ、フジ、サツキ・・。まるで孫を世話するように優しい眼差しで、水を遣ったり畝の手入れをしたりしていた。
ふと、昨日のバスのおばさんに、「どうしてこんな山奥に住んでいるのですか?」と尋ねたことを思い出した。お店もない、バスの本数も少ない、病院にいくにも時間がかかる、それなのにどうしてこんな不便な土地に住んでいるのかと疑問に思ったからだ。
おばさんは少し考えたようにした後、目を輝かせてこう答えた。「そうじゃな。とりわけ理由はないんじゃけんど・・。でも、この土地にはいろんな大切なものがたくさん詰まっちょるき。」そのときはその意味がよく分からなかったが、畑山温泉での一日を過ごして、それが何となく理解できたような気がした。
そして、それこそ「 ふるさと 」というものかもしれないな、とふと思ったのだった。
